しなやかな背中に眠るエデン

歯がゆさも抱きしめながら

担降りして1ヶ月経った今、思うこと



ふとした瞬間に思い出す言葉がある。


「15年経って、もっともっと嵐を好きになったし。 この先、どんな景色も5人で見ていたいって思うんだよね。
だって、分かんないけど…昇りっぱなじゃないから、人生は。きっと、ちゃんと降りてもいくんだと思うから。
だから、そういう景色もやっぱり5人で見ていたいなって思います、俺は。」


あいばくんが2015年DIGITALIANツアーのパンフレット内で語った言葉だ。

そしてもう一つ思い出すのは「TOPになりたいって夢、絶対叶えようね」とあいばくんが泣きながら4人と固く誓い合ったこの言葉。
TOPという高みを目指し続けたあいばくんが言う、昇りっぱなしじゃないからという言葉。ここまで嵐を大きくするのにどれだけの努力と犠牲を孕んできたか、わたしたちは知らない。しかし、今もなお努力を惜しまず、上ではなく先を目指す嵐。

そんな嵐の活躍を俯瞰的に見たとき、あいばくんの言う降りていく景色を一緒に見ることができない物悲しさを実感する。嵐が作る景色、嵐と見る景色はきっとどんなときも人に喜びや感動を与える。私はそれをずっと見ていくはずだった。そして、降りていく景色も見届けたいと思っていた。でも担降りをした今、それは許されないような気がしてしまう。
ファンというものにはなんの誓約もなければ個人的な娯楽の延長上にあるものだと思う。だけど、ファンという存在になった瞬間から私にとって嵐は娯楽の範疇を超えて生きがいとなってしまった。そんな嵐から降りてしまった私には嵐が降りていく景色を見ていく資格はないのかもしれないなって。たまに思うことがあるんです。だからってどうにかなるわけでもないし。現嵐ファンの方からすれば、だから何?って話になっちゃうけど。こんな感情になったのは私だけじゃないって思いたいだけなのかも。